アフター第19回の感想

風子さんのお砂遊びの時間です。綺麗なヒトデ形のお星様を作っておられる。服にもヒトデのようにも見える星のマークが。ええ、決してヒトデではないんです。星です。さすがに朋也の「汐のお友達」発言には吹いた。いや間違ってはないんですけどね。しかし公園の「木」が印象的でしたね。

遅れてきた風子も含めて、そろいましたね。色んな意味で。13個という数字。ちなみに一期が終わった時点で6個、第16話で12個でした。重なる6。一周する12。そして新たな時である13番目。そんな意味だと思ってますwだからある意味今回は一つの終わりだったのかもしれませんね。
Ana
The place changes and goes. Like a wind, like clouds.
Like the traces of the heart, no halt at the places.
何もかも変わらずにいられない。というかいずれ失うときが必ず来る。その時に立ち止まらずに前を向くために必要なのは過去を思い出として仕舞うこと。それが理由となって生きれるから。でも捉われすぎてもいけないんですよね。電車の中で、渚の部屋で、親父との別れで、朋也は幸せだった過去を思い出し立ち止まりそうになってます。が、今は汐がいるので、立ち止まるわけにはいかない。原作で「思い出が思い出であるために」って言葉がありますが、そうしていくことで本当の意味で朋也は新しい時間を刻むことができるのでしょうね。

今回は直幸との和解。

名前の通り「幸せを直に」感じることを望んだ父親。妻の敦子さんと生きることを望み、それが奪いさられてもなお朋也と生きようとした人。苦しくなることが分かっていながらその道を選んだ理由はたった一つですよ。これだけは断言できる。彼は幸せだった、と。
先週も言った通り本当に朋也に似ている。好きな人ができて、親から離れて、子供を授かって…。その人しか見えてないという性格も同じだったんだと思う。けれどその人がいなくなって絶望しても…直幸は朋也と生きることを望んだ。他のものを犠牲にしてでもそうしたかったんですよ。誰のためでもなく自分のために。そして高校まで育てて、怪我を負わせてしまって、だんだんと息子は自分から離れて行き、気づけば残っていたもの全て失っていた。だけど祖母の話で朋也が気づいてくれたことで、客観的に見て彼は救われました。ようやく自分自身を許すことができたんだと思いたい、です。

Aパートの最後のシーン。出かける前に汐に話しかける朋也の図。あれ後半の直幸の演出への仕込だったんですね。やられました…あの姿、この二人、全く同じじゃないですか。父親の思い出が今の朋也に生かされてることを伝えてます。しかもCM前にもう一つ伏線らしきものが。終盤のとあるシーンが見えた気がした…w

さて、親子の和解があり初期から抱えていた問題が解決して話が終わったように見えますが実はまだあります。そしてその部分こそ私がCLANNADを最大限に評価している理由です。話を追うにつれて「どこまでやるの?」って思う物語だと感じますが、どこまでもやります。アフターはハッピーENDのその後。描かなくてもいい部分まで描いている。でもその中にこそテーマがありこの先こそが真の本質だと今では思うんですよね。物語として終わらないのがCLANNADの物語だと思うので。今回の和解後のシーンがそれを象徴しているのかなぁと。朋也は成長して少しずつ視る側から離れていく。いずれ汐のように見上げるところまで行ってしまうのかもしれません。そうなった時に作中で語られる台詞、行動は誰のためのものとなるのか。例えば一期では朋也を通して周りの子に感情移入してきて、二期では周りから朋也の成長を見守る立場になって。じゃあ、その先は?その瞬間が私の最も好きなシーンです。そしてその部分はもう原作知ってるとか関係なく純粋に楽しみなんですね。どう描かれるのか。自分の中にはまだない一つの「答え」をアニメで表現してくれるような気がして。こうして考えてみると本当にこれは「気づき」の物語だと思います。ある種の自己投影と言ってしまってもいいかも。きっと終わる頃には私も現実に帰されてるんでしょうが、それまではしばし彼らの物語に浸っていたいですw