第18回の感想とこれまで

見守り
まったくもう。ほんと。そりゃあ我慢できません。あんな…ね。
「こまだ」とか!吹くに決まってるでしょ!!
■━⊂( ・∀・) 彡 ガッ☆`Д´)ノ
いや、だって面白いし…wこまだwwあれで笑わない朋也には共感できない。笑いのツボは人それぞれと言いますが、共通する「面白い」も確かに存在してるわけで。自分が信じるそれを他の人が認めないのは、まるで自分が否定されるぐらい寂しいことなんですよ。全てでなくてもいい。例えほんの一部でも認めてくれれば繋がれるじゃないですか。「他人の中に自分の存在を見つけられる」みたいなことは原作でも記述してあった気がしますけど。そのためにはまず理解し合わないと駄目なんですよね。…いや、理解は後からついてくる結果かも…まずは自分の中に「相手」を受け入れる場所を作ることからですね。そのためには「自分」を減らさないと駄目なのかもしれない。でも結局それは自分のためになっているという。失ってみないと分からないとは良く言ったものです。
「見つければいいだろ」
初めに朋也が言ったことです。残酷で厳しい言葉だけど結局これに尽きるんですよね。新しい楽しいことや嬉しいものを見つければいい。じゃあ失くしたものはどうすればいいのか。間違いだったと切り捨ててその悲しみごと忘れる?…違いますよね。「思い出はいつまでも残り続ける」と1話の草野球の時に誰かが言ってました。だから受け入れて乗り越えていくしかないんだと思います。朋也が買ったロボットは失くしても無駄になんかなってない。それ以上のものを汐は与えられましたから。同じように朋也も多くのものを周りに与えてもらっていた。自分が許している以上に彼は周りに許してもらっていました。その重さを、今回やっと知ることができたんじゃないでしょうか。好きや嫌いではなく、どうしようもないところで深く繋がってる。一度そのことを「呪い」と言ったこともありましたね。でも相手にそんなつもりは全くない。それでも作用してしまうのが「家族」という繋がりなのかも。
それでいて知らず知らずのうちに引き寄せられる。今回史乃さんと出会ったのは早苗さんの伝。でも史乃さん本人が直幸の過去を伝えたかったというのもありますよね。親というのは見守るもの。おそらく「親として」できることは今回朋也に直幸の意思を伝えることだけだったんでしょう。絶望を味わった息子の最後の希望「子供を自分の力で育てきること」彼はこれをやり遂げてました。朋也がそれを認めてくれたときの安堵感と言ったら…凄かった。そして直幸を「この場所で待っているから」と。あえて自分からは行かずに、ね。息子が帰れる最後の場所としてあの人は「大地の果て」に残っているんじゃないか。そして来週のタイトルも深いんですよね。2つ…いや、3つぐらい意味があると思ってるんですがw
まぁそのことも含めて次回も楽しみなんです。というか正直言うと今回は次回の分も含めた1時間SPであって欲しかったwどうしても尺というものが存在して、どうしてもそれで制限?されてしまってwもちろんそれがアニメだ。だからこそ1話完結の美しさみたいなものが生まれるんだということも理解はしております。特に今回は非常に締りの良い話の流れだったと思いますし。ただどうしても、ね。先を知ってる者としては愚痴らざるを得ませんwでも逆に言えば来週は始まりも重要ってことで。内容次第では私は終始感動させられてしまうと思うのでw期待してますw
ちなみにこのアニメ初まる前に私は、今回放送された一連のシーン+αがCLANNAD全体の中でも最も盛り上がるというか重要だろうなと考えてました。で、遂にこの辺まで話が進んで期待してた通り、いやそれ以上に素晴らしい映像で再現してくれたと思ってます。ですがアニメ見てあらためて作品について考えてみたりして、実はここがピークではないんじゃないか、って考えになっていってます(14話辺りからw)。冷静に考えてみるとこの先にこそテーマがあるなって。それは感情的な部分ではなく作品の意味としてです。「泣き」とかとはちょっと違うかもしれませんけど…なんだろう。メッセージ性とかなのか。物語のその後としての意味がアフターなのだとしたら、アニメでも全てやり通してくれると思うので楽しみです。あと、ここからはアニメ版の腕の見せ所だとも思うw次回はそれに含むか含まないか微妙なところですけどwその次は色々ハジけてもいいと思うんだww
あ、それと冒頭に書いたこまだに深い意味はありませんw
最後に。今回ラストの電車で汐が泣く描写。あれは原作とは表現が違うんですが、すごく良いと思いました。朋也の涙につられて泣いてしまう、という。人の痛みを自分の痛みに変えて一緒に泣く姿は、昔の渚そのものでしたから。汐はその部分も同じなのだと…すごく「らしい」と感じました。